矢野朋義

こんにちは、矢野朋義と申します。

ブログを読んで頂きありがとうございます。日々の細かなアフィリエイト情報や、気づいた事などはメルマガで主に配信しています。

 

ブログにもまとめていますが、すべてを網羅出来ていません。

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自己紹介

福岡県北九州市出身。専業アフィリエイターです。MAX月収は120万。結婚して、今は都内に住んでいます。

ちなみに、奥さんもアフィリエイターです。

 

元々は、プログラマーでした。

PHS、ガラケー時代のいわゆる携帯黎明期に、端末のドライバー部分というコアな部分をプログラミングしていました。

 

某パナソニックやNEC、京セラ、SONYさんに常駐して作ってました。

大手企業のほとんどは、自前で作る事は出来ないんですよね。ほとんどが下請けに卸します。

僕は、その下請けの下請けの会社に勤めていました。

 

そんなに給料はよくありませんでした。

プログラマーと言えばカッコイイですが、僕はIT土方(どかた)と揶揄されている底辺層でした。

毎日深夜に帰って、朝早く出かけるという生活をずっと送ってました。

 

そんな生活の中、副業を模索し始めます。

本屋さんに寄っては、何かないかと目をギラギラさせて探していたのを記憶しています。

 

さくっと稼げた最初のアフィリ

2007年頃でしょうか、偶然にも1冊の本を手に取ります。

古平明さん書いた「アフィリエイトで月収100万円も夢ぢゃない」という書籍です。

 

この本、もう使えない手法ですが、リンク集的なサイトを作ってYahooカテゴリに登録するというやり方です。

 

ご自身のサイトまで乗ってたんですね。それを、ほぼ真似して作りました。

 

Yahooカテゴリも有料で登録して、他の有料カテゴリへも登録しました。

初期費用は合計7万円くらいかかったと思います。

 

僕は、書籍に書いてあった事をその通りに真似しました

それが良かったんだと思います。

 

当時はYahooJapanの検索結果はGoogleじゃなくて、Yahooカテゴリの内容が表示されていました。

だから、ヤフーカテゴリに通りさえすれば、すごいアクセスが来たのです。

 

みるみる稼いで、一番最初のサイトで毎月10万円安定して稼げるようになったんです。

 

すごいですよね。

古平さんの書籍1冊で、そうなったんですもん。

 

ただ、今はこのやり方は一切使えません。

やはり時代にマッチした内容をその時、その時で、やる必要があります。

 

検索エンジンの台頭で収入は0になる

これで副収入も安泰だなと思ってた矢先、淡い期待は脆くも崩れます。

YahooJapanが独自の検索エンジンを導入しました。

 

検索結果がガラりと変わったのです。

 

ヤフカテ経由しかアクセスなかったわけですから、毎月10万円以上あった収入が0になったのです。

その時は何も知識がなく、変化にも対応できませんでした。

 

ただただ、呆然としているしかなかった。

もう辞めちゃおうと思ってた時、また人生を変える書籍に出会います。

 

時枝宗臣さんの「ほったらかしで副収入を月10万円増やすしくみ」です。

 

リンク集的なサイトしか作れなかった私には目から鱗でした。

 

キーワードの選定、サイトの構成など事細かに書いています。

書いてある構成どおりにパソコンのブログを作ったんです。

 

そうしたら、みるみる取れるんですね。

月に5万くらいに、その書籍だけでなったんです。

 

それでこの方は間違いないと、付属のCDROMから、時枝さんの塾に入ったのです。

 

羽根田さん、田中千瑞禾さんと出会い基礎を学ぶ

塾は3名の講師がいて、羽根田さんや千さんとも初めてここで会いました。

 

羽根田さんは、いまではお仕事も一緒にさせて頂いています。

本当に縁なんだなと思いました。

 

この時に学んだやり方で、月収10万はすぐに越えました。

ブログとサイトアフィリです。

 

ただそこから伸びが遅かった。10万からなかなか伸びません。

今思えば選定ジャンルが悪かった。

 

そりゃそうですよね、その時のジャンルが料率は2.0%のBTOパソコン、パソコンのパーツなんですもん。

いわゆるニッチジャンルってやつです。

 

そのジャンルばっかりにこだわっていました。

まあ、そりゃ伸び悩むよね。

 

転機はガラケーサイトに着手してから

転機は、羽根田さんに相談してからです。

羽根田さんに相談したとき、ガラケーサイトやってみればとアドバイスいただきました。

 

今と違って、PCサイト、ガラケーサイトと明確に別れている時代です。

パソコンの時と携帯の時で、検索結果が全く違うのです。

 

そのとき、羽根田さんから携帯サイトを見せてもらったのです。

なんとも簡単なサイトが出てきました。

こんなので稼げるのか・・・・、すごく驚いたと記憶しています。

 

すぐに参入してみたのです。

参入した直前に塾は終わりました。。

 

原田陽平さん、羽根田さん、加藤義孝さんとの出会い

時枝さんの塾が終わってすぐ。2009年ごろ
羽根田さんが原田陽平さん、加藤義孝さんと一緒に携帯アフィリの塾を始めました。

これに迷わず入り、ガラケーサイトに、これ以降のめり込みます。

 

ここでも、教わった通りに作ります。

これすごく大事ですね。

 

属性を徹底的に絞って、ギャンブルサイト(具体的には競馬とパチンコ)を作りました。

しかし問題が発生します。半年の塾の期間ほとんどを無駄にしたのです。

 

本業のプログラマーの仕事が徹夜続きの炎上で、ほとんどアフィリ作業出来なかったのです。

 

塾の残り1ヶ月半というときに、質問しまくり作り込みました。

これが、2つとも大当たり。ガラケーの競馬サイトは単体で月20万円発生させていました。

 

陽平さんと加藤さんには、サイト構成から誘導文まで、こまかく質問したのを覚えています。

キーワード選定と、誘導文の大切さは、このお二方から勉強させて頂きましたた。

 

アクセスあるけど取れなかったのが、陽平さん、加藤さんのアドバイス通りに修正すると、どんどんコンバージョンするようになっていくのです。

 

広告も良いのが当時は沢山あったので、みるみる収入は増えてガラケーサイト達だけで30万を突破するようになりました。

この時、PCブログからの収入も継続してあったので、合計40~50万ってとこです。

 

サイトを訪れる人の属性を考えるとか、誘導文次第で広告の取れ具合が変わるというのを実際に身をもって実感したのはこのときです。

 

ただ順風満帆とはいきませんでした。

 

うつ病手前まで追い込まれ一時アフィリを離れる

2010年頃ですかね。本業のプログラマーで体調崩します。

 

激務と当時の現場のプレッシャーに押し潰されて派遣先だった水道橋の駅に降りる事ができなくなりました。

鬱までいかなかったのですが、社会不安障害という病気になり、精神的にボロボロになりました。

 

何のために生きてるんだろう・・・。

 

そんな自問自答をしてました。

当時を思い返すと、何もかもうまくいかなかったと記憶しています。

 

同じ時期、祖父が亡くなって、マンションを処分する話を聞き
良い機会だと思って、一室を事務所として使いたいと親に伝え、地元北九州に戻ることにしました。

 

将来の事も考えて、キッパリとプログラマーの職業から足を洗うことにしました。

憧れの東京を離れ、実家の福岡に引き揚げる決断をしたんです。

 

地元に帰ってから療養生活は長くなく、すぐに復活することができました。

元々、過度なストレスが原因ですから、それがなくなったらすぐに治りました。

 

ツール販売の道へ

 

ガラケーに携わって以来、僕は前職プログラマーという技術をフル活用しています。

 

誰がやっても同じ結果になる行為は、外注に任せるか、ツール任せるのが収入を上げる一番の道です。

僕の場合は、ツールが作れるので、どんどん色々なツールを作っていました。

 

塾在籍時期に、懇親会の席で、羽根田さんに自分が作ったツールを見せていたんですね。

こんなの作ってみましたーって感じで。

 

その縁なのか、2011年。恩師である羽根田さんの勧めで、自分用に作って使っていた被リンクツールを、一般向けに販売することが決まったのです。

 

2010年10月、トリプルマジックリンカーという名前で、月額課金制という形でinfotopで販売開始。

今まで、延べ2500人の方に使って頂きました。

 

これが転機になり、いくつかの塾でもSEOツールとして卸す事になりました。名前を挙げる事は出来ませんが、かなりビッグネームの塾があります。

本当に羽根田さんには感謝という言葉しかありません。

 

塾の講師へ

2012年、羽根田さんがスマートフォンアフィリエイト塾を立ち上げ、私も講師側で参加させて頂ける事になりました。

 

登壇してお話することも多くなり、人前で話すことが苦手だった僕が、本当にここでは鍛えられました。

 

なにより、ここでの人生の転機は、結婚です。

同じ講師の密本花桜さんと2015年結婚をしました。

 

羽根田さんのおかげなんですよねー。

本当に人には恵まれています。

 

期間は半年の塾は、好評で現在4期まで続いてます。塾生も結果を出してくれて、中に 月収250万円を越す方も出て来ました。

人に教える事は難しくて、稼いでいる事と教える事は正比例ではないというのを身をもって実感しました。

 

その人のレベルに応じて伝えないといけないんですよね。

時には事例を交えて分かりやすく噛み砕いたり、ベテランの方には難しい最新の話しをしたり。

 

すでに教えた方は600名を越しているはず。。

本当に貴重な経験をさせて頂いています。

 

羽根田さん主導の塾なので、何期まで続くのか自分でも良くわかっていませんが、依頼がある限りついていこうと思ってます。